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お正月の定番となった「箱根駅伝」。

毎年、箱根駅伝を楽しみにしている方はたくさんいらっしゃいますよね!

しかし、そんな箱根駅伝が生まれたきっかけや歴史を知らないという方も多いのではないでしょうか?

そこで今回は、箱根駅伝の起源や歴史についてご紹介していきます。

又、駅伝そのものの起源も記載していますので、ぜひ最後までご覧下さいね!

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箱根駅伝の起源って?3人の男性がキーマンだった!

箱根駅伝の起源は、3人の男性が同じ電車に乗り合わせた事から始まりました。

その男性というのが「金栗四三氏」「沢田英一氏」「野口源三郎氏」の陸上選手3名です。

3人は鴻巣の小学校で行われる運動会の審査員として招かれ、同じ電車に乗り合わせました。

同じ陸上選手である3人は、オリンピックで戦える日本の長距離ランナーを育てる為には駅伝競走が最適だという話をし、最終的には「アメリカ大陸横断駅伝」を開催しようと夢を語り合いました。

そして早速その夢を実現しようと、当時、陸上競技に理解のあった報知新聞を説得して資金の調達を試みたのです。

次に、金栗氏が勤務していた東京女子師範学校(お茶の水女子大学)・早稲田大学・慶応大学・明治大学・帝国大学等、東京都内の大学や専門学校の代表を集めて選考会実施計画を協議しました。

すると、即座に翌年の2月に予選としての出場選手選考会を行う事になり、早稲田大学・慶応大学・明治大学・東京高等師範学校の4校の出場が決定しました。

しかし、最終目的は「アメリカ大陸横断」ですので、厳しい自然状況下で走らなくては意味がありません。

その為、コース決めは難航し、様々な候補が却下されていきました。

そして最後の候補に挙がったのが、東京~箱根間、東海道を往復するルートでした。

出場大学・コースが決まり、いよいよ翌年1920年2月14日に箱根駅伝が開催されたのです。

上記が箱根駅伝の起源です。

たった3人の男性の夢から始まったなんて、驚きですよね。

「アメリカ大陸横断駅伝」は実現しませんでしたが、その熱い思いが現在も生き続けているという事を、ぜひ覚えておいて下さいね!

そもそも「駅伝」って?その歴史は??

そもそも駅伝とは、長距離を複数の人数でリレー形式に走り、早さを競う競技で、国際的な正式名称を「Road relay」と言います。

発祥は日本になっていますので、そのままローマ字で「Ekiden」と呼ばれる事もあるのですよ。

日本で最初に行われた駅伝は、1917年4月27日に開催された「東海道五十三次駅傅徒歩競争」だと言われており、京都三条大橋~東京上野不忍池までの508km間を競いました。

その時のスタート地点とゴール地点には、駅伝発祥の地として碑が建てられています。

1917年に駅伝が開催された理由は、東京上野で博覧会が開催される事になった為です。

博覧会を盛り上げる企画として開催された駅伝が、発祥のきっかけだったのですね。

そして、この東海道五十三次駅傅徒歩競争のアンカーで、一番にゴールテープを切ったのが、日本マラソン界の父であり、後に箱根駅伝を生んだ金栗氏なのです。

大成功に終わった日本初の駅伝は、箱根駅伝を生み、次々とドラマを作ってきたのですよ!

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最後に

今回は箱根駅伝の起源についてご紹介してきましたが、ご参考になりましたか?

箱根駅伝は、金栗四三氏・沢田栄一氏・野口源三郎氏の3名の夢から誕生し、非常にロマンあふれるものだったのですよ。

今後、駅伝を見られる際は、また違った視点から楽しみ、応援してみるのも良いですね。

又、「駅伝が大好き!」という方は、箱根駅伝開催後に行われる「ゴミ拾い駅伝」に参加してみるのもオススメです。

箱根駅伝で走るコースを巡りゴミを拾うというイベントなのですが、選手と一緒に一般の方も参加できますので、駅伝に魅せられた方には楽しいイベントとなるでしょう。

心から駅伝を楽しみ、今後も出場選手達を応援していきましょうね!

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